つけ麺本丸、愛知・名古屋・岐阜に展開。
柚子の香りと濃厚魚介の風味が絶妙なつけ麺専門店

店舗情報

さいよう

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独立制度

独立までわずか2年!!
経験も自己資金も無くても自分の店が持てる!!

独立制度プログラム
田辺健太

人生において大切なのは夢だと思います。
それを伝えたかったからケンドリーム。

 本丸亭東海通店店長の田辺健太と申します。 まずは私の履歴書から(笑)

  •  22歳 大学卒業後 製造メーカーに就職
  •  27歳 このままではつまらない人生になると思い転職
  •  29歳 結婚を期に安定を求めてトラック運送会社に就職
  •  31歳 大手運送会社に転職。生活、仕事、共に安定する。
  •  40歳 離婚。自分の人生を考えて 転職を決意。
  •  41歳 ワンダフルハーツにめぐり会う。
     これしかないと、 強く心に感じる。
  •  42歳 本丸亭東海通店にて独立
  •  (祝)ケンドリーム株式会社設立!田辺健太、社長になる

 私は愛知県豊田市出身、2010年現在42歳、独身(泣)前職はトラックの運転手を11年やっていました。離婚を期に自分の人生を賭けて一大決心、飲食業未経験から本丸亭に飛び込みました。 自分のお店を持つという夢があったからです。何から何まで初めての経験です。失敗の連続でした。だけど本丸亭は失敗を許してくれる会社です。失敗よりもチャレンジ精神を評価してくれる会社です。 こうして仲間に支えられつつも、私はメキメキ成長していきました(笑) 入社して半年ぐらいから、「まずは店長にならなければ!」と思い、店長に立候補しました。 そして名古屋市港区の新店の店長に選ばれました。平成22年2月、店長として本丸亭東海通店オープンを迎えました。店長としての最初の仕事はスタッフのトレーニングでした。 「ありがとうございます!」「いらっしゃいませ!」の発声練習から始まり、ホール・キッチンのオペレーションへと続きます。 店長のもっとも大切な仕事は教育です。素晴らしいスタッフがいなければ、いいお店はできません。試行錯誤をくり返しながら、お店も徐々に軌道に乗りはじめました。 スタッフ全員がお店作りに参加してくれて、とても明るく雰囲気のいいお店になりました。 スタッフが笑顔で仕事ができるお店が私の理想です。 もっともっとその理想を高めていきたいですね。

時間は流れ~平成22年7月。店長就任から4ヵ月後、独立の話をいただきました。まさかこんなに早く独立のチャンスが来るとは思ってもいませんでした。店長としてまだまだ未熟な点もいっぱいありました。しかし、このチャンスに賭けてみよう、そう思いました。

 社名はケンドリーム株式会社と名付けました。 会社を作ったら「ドリーム」という言葉を入れたいと思っていました。 ワンダフルハーツに入社して、夢を持つことができたからです。人生において大切なのは夢だと思います。それを伝えたかったからケンドリーム。かっこいいでしょ?(笑)
 次の夢は二店舗目をオープンさせることです。自分を慕ってくれる社員のためにもケンドリームを成長させたい。会社が成長すれば社員も夢を持てます。5年後には10店舗経営が目標です。 みんな頑張ろう! もうひとつの夢は再婚ですね。(5年後予定なし)
飲食業未経験で入社し、まったくの料理の素人から、わずか1年4ヶ月で独立をさせていただきました。 社長・専務には一からいろいろなことを教えていただきました。そして、感謝を伝えたいのは共に頑張る仲間です。ワンダフルハーツは夢にあふれる人の集まりです。 そういう環境があったからこそ、これほど短期間で独立が果たせました。これこそが、この会社で働く最大のメリットです。これを読んでくれたあなた、ケンドリームで一緒に夢をかなえませんか?!

ケンドリーム株式会社 社長 田辺健太

一念発起して“脱サラ”。
飲食業界未経験の私でも独立できました!。

是枝義臣

私は18歳から運送会社に就職し22歳までトラックの運転手をやっていました。その後、運行管理者の資格を取り管理職として40歳まで運送業一筋で働いてきました。離婚し、三人の子供を引き取り今でいうシングルファザーで、子育てと仕事を両立する毎日を過ごしていましたが、 このままサラリーマンで人生を終わらしていいのか、子供達の為に何かを残してあげないといけないのではないかと思い転職を決意。小さな頃から興味があった飲食業に決めようと思い、タウンページを見ていると、自己資金無し、 最短2年で独立ができる制度の文字が目に入り、これしかないと決意し平成23年7月人 生を変える気持ちで入社しました。とにかく独立すると強い気持ちをもち毎日仕事に打ち込みました。

入社して3ヶ月経った時、新業態のつけ麺本丸栄店のオープニングスタッフ に選ばれ、新しい仲間と力を合わせ頑張り、平成24年2月に店長となりました。いろいろな経験、失敗の繰り返しでしたが1年後の平成25年4月独立させていただきました。飲 食業の経験が全くない私はワンダフルハーツに独立までの全てを教えていただきました。そして夢を実現することができました。

つけ麺本丸栄店 是枝義臣

自分が変われば、人生が変わる。
初めて“本気”になれた仕事がここにあります。

梅村慎二

僕がワンダフルハーツ株式会社に入社したのは、28歳の時でした。子供の頃から夢がなかったんですが高校を卒業したら手に職をつけたいと思い工務店に住み込みで働き始めました。それから成人になった僕はもっと違う仕事もやってみたくなり、とび職、中距離ドライバー、溶接工などさまざまな職を経験しました。
 そして、平凡な人生にしたくないと考え独立制度のあるワンダフルハーツに入社しました。
 最初に配属になった店舗は独立店の本丸亭東海通店でした。僕は飲食店未経験でしたが東海通店の田辺社長がイキイキと仕事をしているのを見て『自分も社長になりたい!!』という気持ちが強くなりました。

褒めるときは思いっきり褒めて、叱るときは思いっきり叱る、そんなまっすぐな指導を受けたのは初めてで愛情を感じ、とても嬉しかったです。休憩のときは自分の考え方を話してくださったり、 僕の話を聞いてもらったりとなんでも言い合える間柄になってました。>
アルバイトの面接から教育までやらせてもらい、人の成長の喜びを教えてもらいました。
 そしてもっと僕を成長させようとした田辺社長の薦めで独立間近の石川店長のお店に行くことなりました。僕の長所と短所をすぐに見抜いた石川店長はたくさんのアドバイスをしてくれました。 常に一緒に働く仲間を盛り上げていた石川店長の独立は、あっという間でした。この人の仲間に対する気持ちを裏切ってはいけないと無我夢中でがんばることができました。
 そのおかげで今度は本丸亭飛島店のオープニングスタッフとして働けることになりました。
 飛島店では小林統括店長に僕は社長になるためにもっと変わりたいということ伝え、指導してもらいました。小林統括がいつも誰よりも大きな声で元気に働いているのを見て、 どこからその元気が出てくるんだろうと思いながらも、絶対に負けてたまるかと自然に精一杯働いてました。 初めて本気になれることを見つけられた僕は飛島店が自分のお店だと思い行動することができました。
 そして、ラーメン有頂天で店長をやらせてもらうことになりました。
 店長になってすぐ気付いたことは、今まで自分は社長や店長にモチベーションを上げてもらっていたことです。自分が熱くなれたように、お店のスタッフを熱くさせたいと思い、 自分がこのお店にかける想いを全員に伝えました。

 スタッフはお店の宝です。かといって優しくばかりしていたらお店は良くなりません。どうしてもスタッフのことやお店のことを考えると口うるさくなってしまいます。
以前の自分とは違い、人と積極的に接することが好きになっていました。  この頃の僕は今までの自分とはまったく違うという自信があり、絶対に独立してみせるという気持ちでいっぱいでした。その後、専務からは社長になるにはまだ早いと厳しい言葉をいただきながらも、がんばりを評価してもらい店長になって5ヵ月で独立できました。今後を見据えて実力以上の評価をしてくださったことをとても感謝しております。
 会社名はグローバル株式会社にしました。自分のお店を持つことができ、次なる目標は海外に出店することで、大きくなった夢を絶対に諦めないために社名に込めました。

梅村慎二

入社した当時は礼儀も知らない僕が2年で独立できたのは、ワンダフルハーツで出会った人達のおかげです。田辺社長、石川社長、小林統括に大声で叱られたこともありました。ここまで本気で指導してくれた人達は今までの職場にはいませんでした。 とんこつラーメン有頂天 小牧店店長 梅村慎二  だから本気で応えたかった。  今、近くに厳しいことを言ってくれる人がいないので、ありがたさを痛感できています。ワンダフルハーツで一緒に働いた人との出会いで僕は変わり人生が変わりました。

梅村慎二

 人は自分のために実力以上の力を発揮できないことがよくわかったので、お店に来てくださるお客様のため、一緒に働いてくれる仲間のために、もっと上を目指します。
 最初は単純にお金を稼ぎたいという動機で入社したんで とんこつラーメン有頂天 小牧店店長 梅村慎二 すが、今はたくさんの人と関わって共に成長して自分を変えてもらったように、人を変えられるような人間になれるように日々努力します。

とんこつラーメン有頂天f
小牧店店長 梅村慎二

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